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JR九州 / 香椎線
JR West / Kure Line
香椎線は、福岡市東部をほぼ南北に走り、その後
博多湾に延びる海の中道を走る25.4kmの路線です。
起点は海の中道の先端に近い西戸崎で、JR鹿児島本線との
接続駅の香椎から南に向かい、篠栗線との接続駅、
長者原を経て宇美に至っています。
香椎線の歴史は、博多湾鉄道が1904年(明治37年)
1月1日に西戸崎 - 須恵間を開業した事に始まります。
翌年の年末には宇美まで全通しています。
香椎線の目的は石炭積み出しの為だったようです。
1942年(昭和17年)に西日本鉄道の路線となり、
1944年(昭和19年)に国有化されています。
その後、1987年(昭和62年)に国鉄が民営化され、
香椎線はJR九州が運営する路線となりました。
国鉄時代には、一日に片道11本の列車が走るだけでしたが、
現在では、西戸崎 - 香椎間が片道42本、香椎 - 宇美間は
片道45本の列車が運行されています。
福岡市近郊の路線であり、運行本数が増えて利便性が向上
した事から、一日の平均通過人員は1987年の3,299人/日
から2023年には6,566人/日と大幅に増加しています。
2012年7月に、香椎線に乗車しました。
その様子を3回に別けて紹介します。
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長者原 - 宇美
Chojyabaru - Umi

2012年7月、香椎線乗車の旅は、
博多から篠栗線で出かけました。
博多から約20分程で、長者原に着きました。
篠栗線のホームは地平ホームにありました。

長者原は、香椎線と篠栗線との接続駅です。
しかし、1904年(明治37年)に、今の香椎線の前身、
博多湾鉄道と、篠栗線の前身の九州鉄道が、
夫々の路線を開業させたときに、交差する
地点には駅は設けられませんでした。
篠栗線の乗車記はこちらです。
どちらの鉄道も、石炭輸送を目的とする鉄道だった事が
交差地点に駅が設けられなかった理由だったと思いますが、
国鉄に移管された後もその状態が続いていました。
長者原駅が設けられたのはJR移管の
翌年の1988年(昭和63年)の事です。
一日の乗降車客は8,000人を超えています。
篠栗線から、高架の香椎線ホームに乗り換えました。

長者原からまずは香椎線の終点・宇美を目指しました。
長者原を出ると、時折田畑の広がる住宅地を走りました。

長者原から1.4kmで次の酒殿に到着しました。

ここは交換設備のある駅です。
そして更に1.3kmで、須恵駅に到着しました。
1995年(平成7年)にモダンな駅舎が建てられています。
乗車した2012年には委託駅員が配置されており、
発車する列車に向けて駅員さんがお辞儀する姿を見かけました。

須恵駅は、2015年に無人駅になってしまいました。
日本各地で、駅員さんが発車する列車に向けて一礼
する姿を目にする機会は、殆ど無くなっていると思います。
須恵川を渡り、周囲に田圃が広がるようになりました。

そして、須恵中央に停車しました。

須恵中央は、1989年(平成元年)に開業した新しい駅ですが、
駅名の通り、須恵町の中心街に近く、乗降客数は
須恵駅の約2倍に上っています。
須恵中央から1.0kmで新原に到着しました。
新設された駅も含めると、1.0〜1.4kmの
間隔で停車駅が続いています。

新原を過ぎた所の沿線の景色です。

田園風景の中に住宅地が広がる景色がずっと続いています。
こうして、長者原から14分で終点の宇美に到着しました。

宇美は、魏志倭人伝に記載のある不彌国の
所在地ではないかと言われているところです。
宇美は、1985年(昭和60年)に廃止された勝田線との接続駅でした。
香椎線と勝田線は、同じ国鉄の路線でしたが、勝田線は、
筑前参宮鉄道によって建設された路線という生い立ちの
違いがあり、宇美駅の場所は100m程離れた所にありました。

上の写真、駅前のU字のモニュメントのすぐ
左側の細い路が勝田線の路線跡でした。
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長者原 - 香椎
(Chojyabaru - Kashii

長者原から宇美に向かったのち、起点の
西戸崎に向けて折り返しの列車に乗りました。
篠栗線をオーバークロスする香椎線の長者原駅からの眺めです。
篠栗線には行き違い設備があり、長者原駅の外れで
上下線が合流する様子が手に取るように眺められました。

長者原を発車すると、1.0km、
3分程で次の伊賀駅に到着しました。

伊賀駅は1904年(明治37年)に開業した際には
長者原駅を名乗っていました。
4年後に伊賀駅と改称していますが、地図で見ると
長者原から伊賀にかけて粕屋町の集落が続いています。
ちなみに、粕屋町は篠栗線、香椎線の利便性が
向上した事で、人口増加が続いていて、日本全体の
人口が現在の1億2千万人から9500万人に減少すると
予測されている2050年にも人口増加が予測されています。
伊賀を出ると、町並みは尽き、田園が広がりました。

やがて山陽新幹線の高架橋が見えると、
土井に到着しました。

土井は、山陽新幹線との交差地点にあり、
ホームは山陽新幹線の高架橋の真下にあります。
土井の手前で、行政区としては福岡市に入っており、
土井を過ぎると、住宅地が広がりました。

線路際には、赤い夏の花が咲いていました。
なだらかな丘陵地に広がる住宅の中を走り、
1994年(平成6年)に開業した舞松原を過ぎると
香椎神宮に到着しました。

香椎神宮はJR九州が1988年(昭和63年)に開業しています。
その昔、1924年(大正13年)にも400m離れたところに、
香椎宮前仮停留所が開設されていましたが、
1942年(昭和17年)に廃止されています。
香椎宮の散策記はこちらです。
30分程の香椎宮での散策を終え再び、香椎線の旅を続けました。

香椎神宮から住宅地の中を走ると、やがて左から
鹿児島本線の線路が近づいてきました。

この先で、鹿児島本線との接続駅、香椎に到着しました。

香椎にほぼ同時刻に到着した鹿児島本線の上り列車と
香椎線の下りと上りの列車です。
西戸崎行の上り列車は10分近く停車した後に発車しました。
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香椎 - 西戸崎
(Kashii - Saitozaki

しばらく香椎で停車した後に、西戸崎に向けて発車しました。
鹿児島本線を走る大分行きの特急「ソニック」」が駆け抜けていきました。

香椎線の線路は、鹿児島本線とは少し離れた
所を走り、やがてオーバークロスしていきました。

その先で、今度は西鉄の貝塚線の線路が寄り添い、
西鉄の電車と並走しました。

西鉄・貝塚線の乗車記はこちらです。
香椎線と貝塚線は今はJRと西鉄と別々の会社の路線ですが、
どちらの路線も博多湾鉄道が開業しており、世が世であれば、
今も同じ会社の路線として、相互乗り入れとかも
されていたのかもしれません。
この先で、和白に停車しました。

上の写真は、西戸崎から戻って和白で下車した際の様子です。
和白は、香椎線と貝塚線との接続駅になっています。
和白を発車すると、西鉄貝塚線の線路が築堤となり、
香椎線の列車は、アンダークロスしていきました。

アンダークロスすると、香椎線の線路は
西に向きを変え、海の中道を進んでいきます。
海の中道は、和白の辺りから、博多湾に浮かぶ
志賀島に至る長さ10km程の砂嘴です。

和白を出てしばらくは南に畑が広がり、その向こう
遠くに福岡市の中心部の高層ビルが見えていました。
その後、線路際に高層アパート群も見えてきました。

その後、住宅が続くようになり、雁ノ巣に停車しました。
鷹ノ巣からは、線路沿いに砂丘が広がるようになりました。

線路際には砂丘からの砂の飛来を防ぐためか、高いフェンスが
続いていましたが、やがて海の中道に到着しました。

海の中道は、国営の海の中道公園が隣接しており、
駅舎もリゾート地のような雰囲気でした。
若い人が下車していて、賑わっているようです。
海の中道からは博多湾を眺めるようになりました。

鷹ノ巣を出てから周囲に民家は見当たりませんでしたが、
高層アパートが見えてくると、香椎線の起点の
西戸崎に到着しました。

西戸崎に到着した際の様子です。

2面2線の構造になっていました。
下の写真は、西戸崎に到着した香椎線の列車です。

西戸崎駅の西には集落が広がり、また近くに志賀島や
博多に向かう福岡市営の渡船乗り場がありました。

こうして、香椎線25.4kmの旅を終えました。
比較的短い路線ですが、変化に富み
乗車していて楽しい路線でした。
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