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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

JR西日本 / 呉線
JR West / Kure Line

呉線は、山陽本線の三原から、瀬戸内海に沿って
呉を経由して海田市に至る87.0kmの路線です。

三原から海田市は、山陽本線と並走しており、山陽本線は
この区間は、瀬戸内海から離れた山間部を経由しています。

山陽本線が開業した1894年(明治27年)当時は、急勾配を
避ける事が優先順位だったと思うのですが、この区間は、
急勾配を避けつつ最短距離を通るルートとして現在の
山陽本線のルートが選定されているようです。

この区間の山陽本線の営業キロは65.0kmです。

呉線は、上述の通り、瀬戸内海に沿って竹原、呉を経由しています。
山陽新幹線開業以前は、呉線にも優等列車が走っていました。

2012年6月に、約30年ぶりに呉線に乗車しました。
その際の様子を紹介します。

広島 - 広
Hiroshima - Hiro
June 18, '25

広 - 竹原
Hiro - Takehara
NEW! June 23, '25

竹原 - 三原
Takehara - Mihara

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広島 - 広
Hiroshima - Hiro


2012年7月、広島7:21発の広行に乗車しました。
国鉄時代から使用している115系電車です。
1970年代から広島地区で走り始め、乗車した
2012年の時点でも、40年近く経っています。


撮影: 2012年7月

広島と呉との間は、利用客が多く、
日中も一時間に4本の列車が運行されています。
2012年当時、朝の7時台も3本の列車が運行されていました。

但し、乗車した7:21発の列車は空いていました。


撮影: 2012年7月

広島を発車するとすぐに野球場が見えていました。


撮影: 2012年7月

天神川駅を過ぎ、しばらく走ると向洋駅に着きます。
その手前で、マツダの本社が見えていました。


撮影: 2012年7月

向洋を過ぎると、呉線の電車は
山陽本線の下り線をオーバーラップしました。


撮影: 2012年7月

この先の海田市を出ると山陽本線と
呉線は、あっさりと左右に分かれました。


撮影: 2012年7月

海田市からは住宅地を走り、
矢野駅を過ぎ、坂駅に到着しました。
坂では、広島行の下り列車と交換しました。


撮影: 2012年7月

坂を出ると平地がなくなり、呉線は初めて瀬戸内海に
沿って走り、瀬戸内海を眺める事になります。


撮影: 2012年7月

坂の次の小屋浦では、再び下り列車と交換します。
列車交換の為、しばらく停車するので、
停車中の列車を撮影していました。


撮影: 2012年7月

上右の写真は、対向の下り列車です。
塗装は異なりますが、下り列車も115系です。
今はこの115系も全廃され、新しい形式の電車が走っています。

小屋浦を発車すると、瀬戸内海を眺めながら走りました。


撮影: 2012年7月

この先、呉ポートピア駅に停車しました。


撮影: 2012年7月

以前、呉ポートピアランドという遊園地が開園しており、
呉ポートピア駅はその最寄り駅として1992年3月に開業しています。
呉ポートピアランドは開園後、わずか6年で破綻しますが、
呉ポートピアパークとして市民に公開されています。

次の天応駅でも下り列車と交換しました。


撮影: 2012年7月

天応からも瀬戸内海の海岸線を走りました。
目の前の島は、江田島です。


撮影: 2012年7月

1999年に開業したかるが浜駅を過ぎ、
トンネルを抜けると吉浦駅です。


撮影: 2012年7月

吉浦からは呉の市街地が広がりました。


撮影: 2012年7月

呉は人口約20万人の都市です。
瀬戸内海に山が迫り、天然の良港だった呉は明治以降は
軍港となり、第二次大戦後は海上自衛隊の拠点になっています。

吉浦から岬を回り込むように走ると、いよいよ呉の中心街に入りました。
呉はかつては製鉄業もありましたが、その中心を担っていた
日新製鋼の呉製鉄所は2023年に閉鎖になってしまいました。

そして、呉駅に到着しました。


撮影: 2012年7月

呉線の中心駅で、一日の乗降客数は約18,000人程です。
広島から26.4km、快速で32分、普通電車で45分です。

日中、呉線には一時間に2本の快速列車と1本の普通電車が
運行されていますが、毎時1本の普通電車は呉止まりになっています。

呉を発車すると、呉の中心街の東側を南北に
遮る休山をトンネルで抜け、安芸阿賀に到着しました。


撮影: 2012年7月

この安芸阿賀でも、下り列車と行き違いをしました。

安芸阿賀から広にかけては呉市では
呉の中心街に次ぐ市街地が広がっています。
安芸阿賀を発車し、黒瀬川を渡ります。


撮影: 2012年7月

新広を出て、広に到着しました。
広島からの電車は広が終点です。

広島を22分前に発車した三原行きが、この広で
25分停車し、乗ってきた電車を待ち合せます。


撮影: 2012年7月

三原行きの電車は、主に可部線で運用されていた105系です。
この電車は2019年に廃車になっています。

現在のダイヤでは、毎時2本の広島方面からの
快速電車は、この広が終着です。
毎時1本の三原行きは、日中は広が始発で、
ここで乗り換えるダイヤになっています。

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広 - 竹原
(Hiro - Takehara


広で、先行していた三原行の電車に乗り換えて、先を目指しました。
広を過ぎ、トンネルを抜けると、仁方に到着しました。
ここでも、下りの電車と行き違いしました。


撮影: 2012年7月

この仁方は、愛媛県の堀江とを結ぶ連絡船の最寄り駅でした。
仁堀航路と呼ばれるこの航路は、以前は、岡山県の宇野と
香川県の高松を結ぶ宇高連絡船とともに、鉄道連絡船でした。

宇高連絡船は、関西方面から四国に向かうメインルートで
あった為に利用客も多く、その後に瀬戸大橋線へと発展しています。
仁方航路は、広島と松江を結ぶ航路でしたが、利用客は少なく、
1980年には一日2往復となり、1982年に廃止されました。

仁方を発車すると瀬戸内海を眺めながら走るようになりました。
この日は、曇りがちの日でしたが、波は穏やかでした。


撮影: 2012年7月

安芸川尻を過ぎると、瀬戸内海から少し離れた所を走りました。


撮影: 2012年7月

次の安登で下り列車と交換待ちをしました。
下り列車を待つ人の姿も見えています。


撮影: 2012年7月

安登を発車した後の車窓風景です。
周囲には田畑と集落が混在する景色でした。


撮影: 2012年7月

安登の次の停車駅は、安浦です。


撮影: 2012年7月

安浦は平安時代末期に平清盛や西行の謂れがある土地のようです。
安浦からは再び瀬戸内海に沿って走るようになります。


撮影: 2012年7月

しばらく瀬戸内海を眺めながら走り、
次の風早過ぎ、安芸津に停車しました。


撮影: 2012年7月

安芸津を出ると、瀬戸内海から離れて走ります。
田園風景と集落が混在する景色が続きます。


撮影: 2012年7月

車内は広を発車した時よりもかなり空いています。


撮影: 2012年7月

周囲の景色ものどかな畑の景色が広がるようになりました。


撮影: 2012年7月

広から34.9kmの距離を57分かけて走り、
竹原に着きました。


撮影: 2012年7月

竹原は人口約2万人の街で、
呉線沿線では呉に次ぐ規模の都市です。


撮影: 2012年7月

竹原駅の駅舎です。

竹原には古い町並みも残っており、
ここで途中下車しました。

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