竹原
Takehara, Hiroshima

竹原は、広島県の南中部に位置する街です。
瀬戸内海に面していて、三原と呉の間に位置しています。
安芸と備後の国境は三原市の西にあるようですので、
竹原は旧国名は安芸になります。

古くから瀬戸内海の交通の要衝として栄えたようで、
室町時代には港町として知られ、江戸時代に
入ると製塩業で栄えたそうです。

竹原には江戸時代の町並みが今でもよく残り、
安芸の小京都と呼ばれています。

2012年7月に呉線に乗車した際に、竹原で
途中下車し、竹原の町並みを散策しました。
その時の様子を紹介します。

呉線の乗車記はこちらです。

竹原駅~旧松阪家住宅
(Takehara Station to Former MATSUSAKA Residence)
July 10, '25

旧松阪家住宅~照蓮寺
(Former MATSUSAKA Residence to Shorenji Temple)
NEW! July 13, '25

中国地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る

竹原駅~旧松阪家住宅
(Takehara Station to Former MATSUSAKA Residence)

竹原の古い町並みは、竹原駅から北に800m程の所に位置しています。
駅前から北に向かい、本川を渡ると古い町並みに入りました。


撮影: 2012年7月

この日は、朝から梅雨空の広がる天気で、
古い町並みもどことなく沈んだ雰囲気でした。

鳥羽町通から本町通へと向かいます。
上の写真の行き止まりのすぐ手前が旧笠井邸です。


撮影: 2012年7月

江戸時代の建物かなと思っていましたが、塩田経営者の
家として1872年(明治5年)に建てられています。

この旧笠井邸で左に折れると本町通です。
本町通に入った眺めた様子が下の写真です。


撮影: 2012年7月

すぐ右手に入る小路があります。
古い町並みは、本町通沿いに続いていますが、
その前に、左手の小路に入ってみましょう。

この小路沿いには古い町並みは続いていませんが、
地蔵堂が建っていました。


撮影: 2012年7月

地蔵堂は、ここから少し離れた西方寺に属しているそうです。
1610年(慶長15年)に大火で焼失し、その後再建されたそうです。

この先の丘陵の中腹に長生寺があります。
長生寺は、伊予河野氏の57代目・河野通直を
弔うために、小早川隆景が建立したお寺です。


撮影: 2012年7月

河野氏は、平安後期あたりから伊予で勢力を
伸ばした豪族で、一時期は瀬戸内海の制海権を
有し、河野水軍と称せられていました。
本拠地は、松山市内の湯築城です。

湯築城の登城記はこちらです。

その後、家督争いが続いたこともあり、河野氏の勢力が衰え、
秀吉の四国征伐の際に、河野通直は小早川隆景に
庇護され、伊予からこの竹原に移ったそうです。

小高い山の中腹にある長生寺の境内を更に上り、
境内越しに竹原の街並みを眺めました。


撮影: 2012年7月

この山の中腹には、唐崎常陸之介のお墓がありました。
唐崎氏は代々、竹原駅に近い磯宮の宮司だったそうです。
唐崎常陸之介士愛
(ことちか)は尊王論を唱えて活動したそうです。


撮影: 2012年7月

長生寺から本町通に戻りました。
狭い通りの両側に古い建物が400m程、並んでいます。


撮影: 2012年7月

竹原の古い町並みは細い路が入り組んでいますが、
この街並みは1718年(享保3年)の絵図に描かれている
町並みと全く一緒のようです。

歩き出してすぐのところに洋風の瀟洒な建物がありました。


撮影: 2012年7月

想像するに大正期に建てられた建物でしょうか。
今は、カフェになっているようです。
時間に余裕があれば、古い町並みのカフェで
ゆったりとした時間を過ごしたいと思います。

このすぐ右手に、竹鶴酒造があります。


撮影: 2012年7月

元々は製塩業を営んでいましたが、
1733年(享保18年)に酒造業を始めたそうです。
ニッカウヰスキーの創始者・竹鶴正孝の生家でもあります。

ここを訪れて2年後に、NHKの朝の連続ドラマで
取り上げられたので、興味深く観ていました。

<
撮影: 2012年7月

店内も開放されていて、日本酒が綺麗に陳列されていました。
近年、全国新酒鑑評会で何度も金賞を受賞しているようです。

竹鶴酒造の北西20m程の所には旧松阪邸があります。


撮影: 2012年7月

古い建物が並ぶこの界隈でも、特に重厚な建物でした。
入母屋造り、平入の建物が通りに面し、その奥に
もう一棟の建物が並んでいます。

この旧松坂家も、製塩業の他、薪問屋、
廻船業、醸造業と多角経営をしていようです。
製塩業で財を成した商人が多く、当時、竹原の
製塩業が如何に発達していたかを物語っています。


撮影: 2012年7月

邸内や中庭の様子も格式があり京都のお屋敷のような佇まいです。
当時の松阪家の財力と、竹原の文化の高さを示していると思います。

竹原のページのTopに戻る


旧松阪家住宅~照蓮寺
(Former MATSUSAKA Residence to Shorenji Temple)

旧松阪邸を出てから、更に北西に進みます。
旧松阪邸から先も、古い町並みの景色が続きます。


撮影: 2012年7月

上の写真は板屋小路との交差点の様子です。
上左が板屋小路、上右が本町通の様子です。

旧松阪邸から50m程、本町通を歩くと、
右手にお寺への階段が見えてきました。


撮影: 2012年7月

この小路も趣のある路でした。
階段を上った先のお寺は西方寺です。

西方寺のある場所には、元々妙法寺というお寺があり、
そのお寺が1602年(慶長7年)に火災に遭ってしまいました。
翌年、妙法寺跡に西方寺が移ってきたそうです。

西方寺には縣造りの普明閣があります。
寺の案内板には小早川隆景が京都の
清水寺を模して建立したと書かれていました。


撮影: 2012年7月

この普明閣には、平重盛の持念仏であった
木造の十一面観音立像が収められていたようです。
現在は別のお堂に移され年に一度ご開帳されるそうです。


撮影: 2012年7月

縣造りの普明閣からは、竹原の街並みが一望出来ました。
黒い瓦屋根の家々が遠くまで続いていました。

西方寺から本町通に戻りました。
西方寺への小路との角にも、古い建物が建っています。


撮影: 2012年7月

この建物は竹原で初めての郵便局だった建物で、
1871年(明治4年)に建てられました。

本町通を北西に進むと、
大小路との交差点がありました。


撮影: 2012年7月

上左の写真が、大小路の様子です。

本町通を更に進むと瀟洒な洋館が見えてきました。
この建物は竹原市歴史民俗資料館です。


撮影: 2012年7月

1929年(昭和4年)に竹原町立の
書院図書館として建てられています。

手前の塀の内側は憧憬の広場として公開されています。
調べてみると、ここでロウソクを灯して竹原の古い街並みを
ライトアップするイベントに使われているようです。
2015年に、この広場に竹鶴正孝、リサ夫婦の
銅像が建てられました。

この辺りまで来ると、本町通の端が近づいてきました。
歴史民俗資料館から60m程の所に頼惟清旧宅がありました。
頼惟清は、幕末に歴史家、思想家として活躍した頼山陽の祖父です。


撮影: 2012年7月

本町通の北の端には胡堂というお堂があります。

そして、本町通が尽きた先には照蓮寺があります。
照蓮寺の堂々とした山門です。


撮影: 2012年7月

照蓮寺は、室町時代までは定林寺という名の
お寺で小早川家と所縁があったようです。

照蓮寺の本堂です。


撮影: 2012年7月

本堂の前の銅像は親鸞上人です。
定林寺時代は禅寺だったようですが、
今は浄土真宗のお寺です。


撮影: 2012年7月

本堂の端に吊るされた楚鐘が印象的でした。

照蓮寺から竹原駅に戻る途中、本町通から大小路に入りました。
大小路では、本町通との角から、頼家の屋敷が続きます。


撮影: 2012年7月

上左の写真は、本町通と大小路との角の屋敷で、
頼山陽の叔父、頼春風の家です。
江戸中期に建てられましたが、江戸後期に火災に遭い、
現在の建物は、1854年(安政元年)に再建されています。

上右の写真は、その奥にある復古館頼家住宅です。
頼春風の孫、頼三郎が分家の際に建てた建物です。
1859年(安政6年)に建てられ、酒造業が営まれたそうです。

これらの建物は国の重要文化財に指定されています。

復古館から大小路を突き抜け、少し北に行くと、
白壁の蔵造りの建物がありました。


撮影: 2012年7月

この建物は、復古館の離れ座敷として建てられ、
その後、光本氏の邸宅として使われていたようです。
現在は、陶芸家・今井政之氏の陶芸の館になっています。

旧光本邸からは小路を歩いていきました。
旧光本邸のある中ノ小路から阿波屋小路に入りました。
阿波屋小路に沿っても古い建物が残っています。


撮影: 2012年7月

上左の写真は、阿波屋小路の様子、上右の写真は
阿波屋小路から右に折れる小路との角に建つ建物です。

阿波屋小路からは板屋小路を通り、本町通に戻りました。


撮影: 2012年7月

こうして古い竹原の街並みを2時間ほどかけ散策しました。
この街並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
選定は1982年(昭和57年)、面積は約5.0ヘクタールに及んでいます。

竹原のページのTopに戻る

中国地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る