現地の案内板によると、衣笠城は、三浦半島の
村岡為通は、1050年に起きた前九年の役での
三浦氏は為通以降、為継、義継、義明と続きます。
この衣笠城合戦の際に、三浦義明は命を落とします。
衣笠城の東には、支城の相模佐原城、怒田城があります。
2012年11月に、これら3城を訪れました。
衣笠城:
衣笠十文字で乗車したバスの様子です。
相模佐原城:
どちらもバス停から徒歩10分程です。
怒田城:
衣笠十文字からのバスを下車し、衣笠城址に向かいます。
片側2車線で交通量の多い県道を北東に進み、
この交差点の辺りが、追手口だったようです。
龍不動の碑は上の写真の手前のところです。
大善寺への石段を上りました。
728年(天平元年)僧・行基がこの地を訪れ、
大善寺脇の階段を上っていくと、衣笠城址に着きました。
虎口を抜けると、細長い郭が続いていました。
その左手にもう一つ、郭があります。
御霊神社は、1194年(建久5年)に創建され、
衣笠城の主郭と思われる一番大きな郭です。
これでは、建物が建てられないと思うのですが、
郭の様子を動画に撮りましたので、ご覧ください。
傾斜地の郭の端に近づいた辺りに大きな石碑がありました。
三浦一族が畠山重忠と戦い、衣笠城が落城し、
三浦義明の記念碑に先で、郭の端に辿り着きました。
この階段の上に、物見岩がありました。
ここが衣笠城址の最高峰になります。
鎌倉時代の御家人・三浦氏の本拠地だった衣笠城を訪れた後、
御霊神社辺りでは、高架の高速道路が見上げるようでした。
丘陵地の上から眺める高速道路の橋梁です。
相模佐原城は怒田城と共に、
1903年(明治36年)に地元の人が
丘陵地の上は畑が広がっていました。
鎌倉時代の古城の跡は残っていませんでした。
怒田城も相模佐原城と同じく、衣笠城の東を固める支城です。
相模佐原城址から丘陵地の東側に下り、
この平作川は丘陵地と丘陵地の間をながれていますが、
上の写真の橋から1km程南東の所で、丘陵地に向かいます。
怒田城への登城道です。
怒田城のあった丘陵地には弥生時代から
貝塚の跡に表示されていた地図です。
貝塚跡全体が怒田城の城郭になっていたようです。
丘陵地に上ってすぐのところに平削地があり、
一段高い所には更に平削地があり、その切岸が
一段高い平削地への短い階段を上りました。
一段高い平削地は、30m四方ほどの広さがあったのでしょうか。
怒田城当時の地形が残っていれば、この平削地が本丸跡、
この平削跡の端からは、丘陵地に挟まれた
当時、怒田城は海城として知られていたようです。
Ruins of castles related to MIURA Clan
登城日:
2012. 11. 18
【衣笠城および三浦氏の古城 概要】
中央部のやや南に位置し、村岡為通が1058年から
1064年の康平年間に築城したと言われています。
戦功で、衣笠城のある相模国三浦郷を授かり、
以降、三浦氏を名乗ることになりました。
義明は次男・義澄と共に源頼朝の旗揚げの際に、
頼朝に加担し、当時、頼朝に組していなかった
畠山重忠と、衣笠城を舞台に合戦に及びます。
その後、義澄、義村と続き、鎌倉幕府の宿老と務めますが、
義村の子、泰村の代で1247年(宝治元年)に滅亡しています。
その際の様子を紹介します。
JR横須賀線を衣笠で下車します。
衣笠駅から少し離れた衣笠十文字から
バスに乗り衣笠城址下車、徒歩約20分です。
京急久里浜線の北久里浜からYRP野比駅行の
京急バスで佐原橋、またはJR横須賀線および
京急久里浜線の京急久里浜駅で下車し、
京急バスの北久里浜行で佐原三丁目下車。
京急久里浜線の京急久里浜またはJR横須賀線の
久里浜駅から北へ徒歩15分程です。
Aug. 30, '26
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【衣笠城登城記】
周囲は丘陵地が広がり、衣笠城址は北側の
一番高い丘陵地にあるようです。

撮影: 2012年11月
下の写真の所で左手に折れ、住宅の間の
坂道を上っていきました。

撮影: 2012年11月
丘陵地の坂道を上り切ったところに大善寺があります。
その手前に龍不動の碑がありました。

撮影: 2012年11月
龍不動の下に城主らの屋敷があったと言われています。

撮影: 2012年11月
不動明王を祭ったのが、大善寺と伝わります。

撮影: 2012年11月

撮影: 2012年11月
そちらの郭の奥には御霊神社がありました。

撮影: 2012年11月
畠山重忠との戦いで戦死した、三浦氏4代目の
三浦義明を祭っているそうです。
この郭は、平削地という事はなんとなく判りましたが、
平らな面が水平ではなく奥に行くほど高くなっていました。

撮影: 2012年11月
どうだったのでしょうか?
『三浦大介義明甲八百年記念碑』と刻まれていました。

撮影: 2012年11月
三浦義明が戦死したのは1180年(治承4年)の事です。
城を枕に討ち死にした三浦義明は89歳だったそうです。
郭の端は傾斜がきつくなり、階段となっています。

撮影: 2012年11月

撮影: 2012年11月
衣笠城址にはいくつも城址碑があるのですが、
この物見岩の上にも城址碑がありました。
その様子はこちらです。
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【相模佐原城登城記】
三浦氏関連の史跡を訪ねながら東に向かって歩いてきました。
三浦氏ゆかりの史跡巡りはこちらです。
高速道路をくぐり、その向こうの丘陵地に上りました。

撮影: 2012年11月
この丘陵地の上に相模佐原城がありました。
衣笠城の東の護りを固めています。
建てた立派な石碑がありました。

撮影: 2012年11月

撮影: 2012年11月
畑の端の茂みの中に土塁でも残っているかと
思いましたが、それも見つけられませんでした。
相模佐原城から平作川を隔てて反対側の丘陵地にあります。
京急久里浜線の線路を横切りました。
その先の平作川を渡ります。

撮影: 2012年11月
鎌倉時代には深く切れ込んだ入り江になっていたそうです。
下の写真の丘陵地の上に、怒田城址がありました。

撮影: 2012年11月

撮影: 2012年11月
古墳時代にかけての吉井貝塚遺跡があり、
その遺跡が公園として整備されていました。


撮影: 2012年11月
上の写真はその様子です。
怒田城の空堀跡との表示がされていました。
上右の写真がその空堀跡にあたるのですが、
堀の痕跡は残っていませんでした。

撮影: 2012年11月
比較的広い平削地でした。

撮影: 2012年11月
一段低い平削地が二の丸跡だったと思います。
平地に広がる住宅地を見下ろす事が出来ました。

撮影: 2012年11月
この丘陵地の間の平地は海で、そこに戦船が
何艘も停泊していた事と思います。