東京駅〜丸の内界隈
(Tokyo St. to Marunouchi Area)
東京駅の前には高層ビルが建ち並んでいます。
皇居前広場から眺めるそのビル群です。
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明治に入り、大名屋敷の跡地が野原となり
それが今では大規模なオフィスビル街になっています。
年末にはこのオフィス街に綺麗なイルミネーションが輝き、
ロマンチックな街に変わっていました。
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丸の内のオフィス街を抜けると
江戸城の馬場先濠が現れ、
和田倉橋を渡ります。
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和田倉門跡を抜けると、
都会の雑踏を忘れさせてくれる
綺麗な噴水がありました。
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江戸城の和田倉門周辺の様子はこちらです。
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大手町界隈
(Ohtemachi Area)
和田倉門から大手門前を通り、
1ブロック北側の道を入ったところに
平将門の首塚がありました。
オフィスビルが立ち並ぶ中で、
この一角だけは静かな杜があり、
独特の雰囲気を保っています。
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江戸時代、この一角は上野厩橋藩主・
酒井雅楽頭家の上屋敷だったようです。
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第四代の酒井忠清は、第四代将軍
徳川家綱の代に大老となっていますが、
その時に、「樅ノ木は残った」で知られる
伊達騒動が起きています。
伊達騒動は、幼い伊達綱村が仙台藩の
第四代藩主になると、綱村の叔父で後見の
一関藩主・伊達宗勝と家老の原田甲斐らと、
伊達氏一門の間に対立が生じたものです。
ついには、原田甲斐や、伊達一門の伊達安芸が
大老・酒井忠清の上屋敷に召喚されるのですが、
原田甲斐は、その場で伊達安芸を斬り、
甲斐自身も伊達安芸派の家老・柴田朝意と
斬り合いになってしまいます。
1671年(寛文11年)に起きたその凄惨な現場が、
この酒井家上屋敷でした。
「樅ノ木は残った」は、読み始めてすぐに挫折したのですが、
この酒井家上屋敷跡を訪れて、読み通したいと思いました。
その酒井家上屋敷の一角に、平将門の首塚がありました。
首塚は、屋敷跡に入った右手にひっそりと佇んでいました。
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平将門は平安中期の関東出身の武将で
939年(天慶2年)に朝廷に叛き、関東一円を治めて
「新皇」と名乗り、天皇の座に即位した人物です。
その後、朝廷に討たれ、その首は京で晒されますが、
晒されて3日後に夜空に舞い上がり、
関東の地に落ちたと言い伝えられているそうです。
その一つがこの首塚です。
関東大震災後にこの場所に
大蔵省の建物を建てようとしたところ、
関係者に不可解な死が相次ぎ、
将門の祟りと噂されたそうです。
丁重に将門の首塚に手を合わせて
写真を撮らせて頂きました。
平将門の首塚から江戸城のお濠端に出ました。
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狭いながらも鬱蒼とした雰囲気の首塚とは異なり、
広々としたお濠の景色が広がっていました。
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日比谷界隈
(Hibiya Area)
丸ノ内の和田倉門から今度は
馬場先濠に沿って南に向かいます。
馬場先門を過ぎると日比谷濠と名前を変えますが、
濠は有楽町辺りまで続いています。
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撮影: 2010年9月
この濠の向こうは皇居前広場です。
当時の江戸城を彷彿とさせる眺めです。
江戸城の登城記はこちらです。
この広い濠の対岸に日比谷公園があります。
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撮影: 2010年9月
日比谷公園はTVのニュースでも良く出てくるところですが、
江戸時代には毛利氏、鍋島氏などの藩邸があったようです。
公園の中に入って行くと立派な石垣がありました。
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撮影: 2010年9月
ここには日比谷御門があり、この石垣はその名残です。
日比谷御門は、江戸城に36あった見附門の一つで
枡形の櫓門と高麗門、番所などがあったそうです。
当時の門の一部は、北側を通る内堀通りを
作る際に壊されてしまったと思います。
石垣の西側には池が広がっていました。
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撮影: 2010年9月
かつてはお堀だったところです。
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撮影: 2010年9月
石垣の東側は土塁になっていて、
その上に上る事が出来ました。
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撮影: 2010年9月
かつて堀だった池は、心字池と呼ばれています。
緑多い眺めで、都心にいる事を忘れさせる光景です。
石垣の上にはベンチも置かれています。
都会の喧騒を離れ、ここでのんびりと
時を過ごすのもいいでしょうね。
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撮影: 2010年9月
石垣から下り、公園内を歩いていると
一つの像が目につきました。
碑の銘文によるとフィリピンの英雄・
Dr. Jose Rizalの像との事でした。
1888年(明治21年)、この地にあった
東京ホテルに滞在という記載もありました。
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撮影: 2010年9月
寡聞ながらJose Rizalの事も知りませんでしたし、
この日比谷公園の地にあったホテルに滞在した
という事だけで,像が建てられるのは、ちょっと
不思議な気もしたので、調べてみました。
山根 一眞さんの秀逸なブログに
辿り着きましたので紹介します:
http://www.web-nihongo.com/shirabemono/sh_p002/
Jose Rizalは当時、スペインやアメリカによる
植民地化に反対した急進的思想家で、1896年
(明治29年)に銃殺刑に処されているようです。
この像が建てられる経緯には、献身的な
日本人女性とのロマンスもあったようです。
ここから南に下ると、日比谷公園の
正門にあたる日比谷門に辿り着きました。
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撮影: 2010年9月
日比谷公園は江戸時代の大名屋敷だった土地に
明治以降、陸軍の練兵場が設けられていましたが、
現在の明治神宮外苑に移動後に公園化されています。
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撮影: 2010年9月
日比谷門を入ると、噴水が見え
左手には、遠くに公会堂がありました。
近くには石枡もありました。
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撮影: 2010年9月
江戸時代の上水道用のもので、この石枡から
近くの大名屋敷に配られていたようです。
日比谷公園の向かいに建つ帝国ホテルです。
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撮影: 2010年9月
さすが、都心といった眺めでした。
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