上ノ郷城は、愛知県蒲郡市の市街地の北にある古城です。
一説には、源平の戦いの後に築城されたとも言われて
いますが、戦国時代に鵜殿氏の居城だったお城です。
鵜殿氏は現在の蒲郡市や幸田町の一部を支配下に
治めていたそうですが、戦国時代末期には
今川義元の旗下に入っていました。
1560年(永禄3年)に桶狭間で今川義元が討たれた後、
当時の城主・鵜殿長照は今川氏の元に留まりましたが、
1562年(永禄5年)に徳川家康によって落城されました。
落城後、久松俊勝が城主となっています。
久松俊勝は、家康の実母・於大の方が
広忠と別離した後に再婚しています。
上ノ郷城は主郭やそれを取り囲む規模の大きな
土塁が残り、蒲郡市の文化財に指定されています。
JR東海道本線蒲郡駅から北に徒歩約35分程です。
2011年4月17日、竹谷城を訪れた後上ノ郷城を訪れました。
竹谷城の登城記はこちらです。
上ノ郷城の手前には赤日子神社がありました。
この赤日子神社には、上ノ郷城の城主だった鵜殿氏が
納経した六百巻の大般若経が収められているそうです。
赤日子神社からミカン畑の間を通り、上ノ郷城に向かいました。
蒲郡はミカンの産地で、穏やかな三河湾に面した温暖な
蒲郡産のミカンはとても甘く美味しいミカンです。
ミカン畑の敷地は石垣で覆われ、思わず当時の石垣跡か
と思ってしまいますが、これは近代に築かれたものでしょう。
ミカン畑を抜けると上ノ郷城址です。
上ノ郷城の南側は立派な土塁で護られていました。
土塁の上には城址碑がありました。
その向こうに上ノ郷城の看板が見えますが
看板のあるところが主郭です。
主郭との間は幅、20m程の空き地があり、
ここにもミカンの木が植わっています。
主郭は10m以上の高さがあるでしょうか。
大規模な城の遺構がそのまま残されています。
上ノ郷城の南側に横たわる土塁はその中央部分に欠きとりがあり、
ここが虎口になっています。城内側から眺めた様子です。
虎口を抜け右に折れ、土塁に沿って主郭に向かいます。
土塁の高さは3m以上あり、土塁の内側に兵が
潜んでいても城外からそれを窺い知る事は
出来なかったことでしょう。
土塁に沿って進み、土塁の上に登り、
いよいよ主郭へと向かいます。
土塁の上から本郭と土塁との間の空堀を眺めました。
幅が広く、堀というよりも帯曲輪のようで、
当時はここにも建物が建っていたのでしょうか。
土塁の右側の平坦地です。
縄張り図で建物跡とされているところです。
重機が入っていましたが、
発掘調査がされていたのでしょうか。
ここから一段高い本郭に登りました。
本丸の虎口には石垣も築かれていたようです。
上ノ郷城は蒲郡市の北側の遠望峰山や桑谷山の
麓にあり、蒲郡の市街からは15m程の標高です。
本郭の南端には上ノ郷城と書かれた看板があります。
気を付けていると、近くを走る東海道新幹線から、
この看板を見る事が出来ます。
本郭からは蒲郡の市街とその手前を横切る
東海道新幹線の列車がよく見えました。
上ノ郷城の本郭は、意外にも大きく、
100m四方程の大きさがありました。
当時のままとすると、本郭は二段の分かれていたようです。
こちらは本丸北側の切岸の様子です。
上ノ郷城は堅城だったようで、1562年(永禄5年)に
家康が攻めた沿いも容易に城は堕ちず、忍者の活躍で
城内から火の手が上がり、その混乱の中ようやく
城を堕とすことが出来たそうです。