伊奈城は、15世紀の中頃、本多定忠、定助が築城した古城です。
伊奈城の場所は、東三河を流れる豊川の
伊奈城は、単郭方形の小規模なものでした。
本多家は三代目・本多正時(泰次)の頃から岡崎の松平家に付き、
徳川四天王の一人、本多忠勝は親戚にあたり、
2012年8月に、伊奈城を訪れました。
JR東海道本線西小坂井駅から西約1.9km、
伊奈城は、豊川河口付近の田圃の中にありました。
近くに東海道新幹線が走り、走行音が良く聞こえます。
伊奈城の入口の様子です。
追手門には馬出がありましたが、今はその跡形もありません。
追手門の左手には、物見櫓が復元されていました。
そして、物見櫓の更に左手、郭の南の角には
下の写真が、正念台の向こうに広がる田圃の様子です。
正念台から眺めた伊奈城内の様子です。
正念台から眺めた城内の様子です。
郭の北側に土塁が続いている様子が良く判ります。
この後、土塁に上って城内を眺めてみました。
土塁の上からの城内の眺めです。
伊奈城の規模は大きくはなく、土塁上からは
ここが城主の館跡とすると、家臣の館群は
Ruins of Arakawa Castle, Japan
登城日:
2012. 8. 25
【伊奈城 概要】
河口近くの北側の低地にあります。

家康が江戸に移封となると本多康俊が下総の小篠に移り、
その後、西尾藩そして膳所藩の藩主となっています。
本多康俊は、四天王の一人・酒井忠次の
子を養子としています。
その際の様子を紹介します。
徒歩で26分程の距離です。

撮影: 2012年8月
ここは当時も追手門だったと思われます。

撮影: 2012年8月
城内は、郭の周囲に巡らした土塁の跡が残っていました。

撮影: 2012年8月

撮影: 2012年8月
小石を敷き詰めた正念台跡がありました。

撮影: 2012年8月
正念台の近くには井戸跡と思われる
円形の石組みもありました。

撮影: 2012年8月

撮影: 2012年8月
その土塁の手前から、城内を眺めた様子です。
土塁の上に立つ、伊奈城の城址碑です。

撮影: 2012年8月

撮影: 2012年8月
全体像をよく把握する事が出来ます。
周囲に散在していたのでしょうか。