荒川城は、浅井西城の南西、西尾市の市街地の
荒川城の築城城主は、荒川義弘
徳川家康
2012年4月に、荒川城を訪れました。
名鉄西尾駅から名鉄東部交通の岡崎駅西口行のバスで
荒川城は八ツ面山の西麓に位置していました。
山の手前の集落と、その右手の八ツ面小学校が荒川城址と伝わります。
まず、八ツ面小学校に向かいました。
城跡が学校の敷地になっている例は、各地にありますが、
集落の中の様子です。
八ツ面小学校から北に向かったところに、蔵がありました。
細い路は、長屋門風の建物の前を通り、雰囲気もいいのですが、
土塁が、路の為に欠き取られたのか、元々虎口を囲っていた
先ほどの蔵の建物の所まで戻り、更に北に向かうと
荒川城の跡は、先ほどの土塁と、この窪地だけと思います。
Ruins of Arakawa Castle, Japan
登城日:
2012. 4. 14
【荒川城 概要】
北東に位置する小高い八ツ面山の西麓にあった古城です。
荒川義弘は、西条吉良家と東条吉良家に分かれた
吉良家のうち、東条吉良家の六代当主吉良持清
(?-1532)の次男だった人物です。
吉良侵攻の際に、松平氏に従い、徳川家康の
東条吉良氏攻略にも協力したそうです。
その際の様子を紹介します。
八ツ面北下車、徒歩すぐです。
八ツ面山の更に西には田圃が広がっています。
その田圃から八ツ面山に向かうと、その手前に
一段高い微高地があり、そこに集落が広がっていました。
撮影: 2012年4月
校門の脇には常夜灯がありました。
撮影: 2012年4月
荒川城の規模は、どの程度だったのでしょうか。
室町時代の豪族の館城とすると、これほどの
敷地はなかったのではないでしょうか。
撮影: 2012年4月
その蔵の角を曲がると、細い路が続いています。
撮影: 2012年4月
この路を通った先に、荒川城のものとされる土塁がありました。
撮影: 2012年4月
土塁だったかは、見た目では分かりませんでしたが、
木の根が浮き出ている所を見ると、近年に
削られたようにも思います。
道路の脇に、堀跡のような窪地がありました。
撮影: 2012年4月
土塁は、古城めぐりのサイトでも多く紹介されていますが、
この窪地は他の方のページには記載されていないので、
真偽のほどは定かではありません。