三河・荒川城
Ruins of Arakawa Castle, Japan

登城日:
2012. 4. 14

【荒川城 概要】

荒川城は、浅井西城の南西、西尾市の市街地の
北東に位置する小高い八ツ面山の西麓にあった古城です。

浅井西城の登城記はこちらです。

荒川城の築城城主は、荒川義弘(?-?)と伝わります。
荒川義弘は、西条吉良家と東条吉良家に分かれた
吉良家のうち、東条吉良家の六代当主吉良持清
(?-1532)の次男だった人物です。

徳川家康(1543-1616)の祖父・松平清康(1511-1535)
吉良侵攻の際に、松平氏に従い、徳川家康の
東条吉良氏攻略にも協力したそうです。

2012年4月に、荒川城を訪れました。
その際の様子を紹介します。

【荒川城へのアクセス】

名鉄西尾駅から名鉄東部交通の岡崎駅西口行のバスで
八ツ面北下車、徒歩すぐです。

【荒川城登城記】

荒川城は八ツ面山の西麓に位置していました。
八ツ面山の更に西には田圃が広がっています。
その田圃から八ツ面山に向かうと、その手前に
一段高い微高地があり、そこに集落が広がっていました。


撮影: 2012年4月

山の手前の集落と、その右手の八ツ面小学校が荒川城址と伝わります。

まず、八ツ面小学校に向かいました。
校門の脇には常夜灯がありました。


撮影: 2012年4月

城跡が学校の敷地になっている例は、各地にありますが、
荒川城の規模は、どの程度だったのでしょうか。
室町時代の豪族の館城とすると、これほどの
敷地はなかったのではないでしょうか。

集落の中の様子です。


撮影: 2012年4月

八ツ面小学校から北に向かったところに、蔵がありました。
その蔵の角を曲がると、細い路が続いています。


撮影: 2012年4月

細い路は、長屋門風の建物の前を通り、雰囲気もいいのですが、
この路を通った先に、荒川城のものとされる土塁がありました。


撮影: 2012年4月

土塁が、路の為に欠き取られたのか、元々虎口を囲っていた
土塁だったかは、見た目では分かりませんでしたが、
木の根が浮き出ている所を見ると、近年に
削られたようにも思います。

先ほどの蔵の建物の所まで戻り、更に北に向かうと
道路の脇に、堀跡のような窪地がありました。


撮影: 2012年4月

荒川城の跡は、先ほどの土塁と、この窪地だけと思います。
土塁は、古城めぐりのサイトでも多く紹介されていますが、
この窪地は他の方のページには記載されていないので、
真偽のほどは定かではありません。

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