浅井西城は、西尾市の北東部、岡崎市の境に近い所にあった古城です。
浅井西城跡には、「土豪屋敷跡土塁」と記された土塁が残り、
2012年4月と6月に、浅井西城を訪れました。
名鉄西尾駅から名鉄東部交通の岡崎駅西口行のバスで
浅井西城は、岡崎と西尾を結ぶ街道脇のなだらかな丘陵地にあります。
この土塁が松平康孝の館を取り囲んでいた「土豪屋敷跡土塁」です。
土塁の上には櫓と思えるような小屋が建っていました。
小屋が丁度隅櫓の位置にあり、その位置の
土塁への道があったので、上ってみました。
土塁の幅は3メートルほどで、土豪屋敷跡の
上の写真は、土塁の内側の様子です。
左側の写真には、櫓風の建物の下の堀跡が見られます。
土塁の一部は、堀切の様に切り取られていました。
但し、この切り取られた部分は当時からあったのか、
戦国時代の館城は、多くが平地に築かれていた為か、
松平康孝屋敷跡の「土豪屋敷跡土塁」の北側には
城跡の神社はその名も浅井西古城八幡宮と言います。
この神社の裏手には、丘陵地の頂上に向かい
この斜面を登ると開けた景色となり、丘陵地の
丘陵地の土の辺りまでがかつての浅井西城址だったのかは
浅井西古城八幡宮のある丘陵地の日には宿縁寺があります。
宿縁寺の創建は平安時代初期にも遡る古いお寺です。
このお寺の山門は古い立派な門なのですが、
門は江戸時代の初期に建てられた岡崎城北門との事です。
Ruins of Azainishi, Japan
登城日:
2012. 4. 14 & 2012.06.29
【浅井西城 概要】
ここには黒柳氏が居を構えていましたが、松平清康
松平康孝が移り住んだようです。
そ北側の丘には、城跡に建てられたと伝わる神社が残っています。
その際の様子を紹介します。
三和小学校下車、徒歩約13分です。
丘陵地の南には田畑が広がり、丘陵地の周囲には集落になっています。
街道を外れ、集落に入っていくと、土塁が現れました。
撮影: 2012年4月
訪れた2012年には土塁の木々は切られていて、
土塁の様子がはっきりわかりました。
また土塁の碑や案内板が建てられていました。
撮影: 2012年6月
土塁の外側には堀跡が残っていました。
撮影: 2012年4月
民家を半周取り囲むように続いています。
撮影: 2012年4月
下は、土塁の北側を眺めた様子です。
撮影: 2012年4月
現存の土塁跡は、当時の館城の遺構を良く残していると思います。
撮影: 2012年4月
屋敷跡の住人が出入りの為に後世に欠き取った
ものかは判別できませんでした。
その後が現存している例は少なく、見ごたえのあるものでした。
今まで訪問した城の中では静岡の葛山公居館がその一例です。
詰城だった浅井西城の城跡に神社が建っているそうです。
なだらかな丘陵地の中腹に建つ神社への眺めです。
撮影: 2012年4月
小さな古びた神社でした。
撮影: 2012年5月
緩やかな斜面が続いていました。
撮影: 2012年4月
北側を流れる矢作川も眺められる景色でした。
そこに、一面の菜の花が咲いていました。
撮影: 2012年4月
分かりませんでしたが、丘陵地からの眺めや菜の花の
景色を眺め、満ち足りた気持ちで丘陵地を折りました。
撮影: 2012年4月
撮影: 2012年4月
当初は、天台宗でしたが、室町時代中頃に
浄土真宗に改宗したそうです。
この門が岡崎城の移築門と伝わります。
撮影: 2012年4月
梁や桁などは改修されているようでしたが、
門扉は当時のままと思います。
撮影: 2012年4月
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