浅井西城
Ruins of Azainishi, Japan

登城日:
2012. 4. 14 & 2012.06.29

【浅井西城 概要】

浅井西城は、西尾市の北東部、岡崎市の境に近い所にあった古城です。
ここには黒柳氏が居を構えていましたが、松平清康
(1511-1535)の弟、
松平康孝が移り住んだようです。

浅井西城跡には、「土豪屋敷跡土塁」と記された土塁が残り、
そ北側の丘には、城跡に建てられたと伝わる神社が残っています。

2012年4月と6月に、浅井西城を訪れました。
その際の様子を紹介します。

【浅井西城へのアクセス】

名鉄西尾駅から名鉄東部交通の岡崎駅西口行のバスで
三和小学校下車、徒歩約13分です。

【浅井西城登城記】

浅井西城は、岡崎と西尾を結ぶ街道脇のなだらかな丘陵地にあります。
丘陵地の南には田畑が広がり、丘陵地の周囲には集落になっています。
街道を外れ、集落に入っていくと、土塁が現れました。


撮影: 2012年4月

この土塁が松平康孝の館を取り囲んでいた「土豪屋敷跡土塁」です。
訪れた2012年には土塁の木々は切られていて、
土塁の様子がはっきりわかりました。

土塁の上には櫓と思えるような小屋が建っていました。
また土塁の碑や案内板が建てられていました。


撮影: 2012年6月

小屋が丁度隅櫓の位置にあり、その位置の
土塁の外側には堀跡が残っていました。

土塁への道があったので、上ってみました。


撮影: 2012年4月

土塁の幅は3メートルほどで、土豪屋敷跡の
民家を半周取り囲むように続いています。


撮影: 2012年4月

上の写真は、土塁の内側の様子です。
下は、土塁の北側を眺めた様子です。


撮影: 2012年4月

左側の写真には、櫓風の建物の下の堀跡が見られます。
現存の土塁跡は、当時の館城の遺構を良く残していると思います。

土塁の一部は、堀切の様に切り取られていました。


撮影: 2012年4月

但し、この切り取られた部分は当時からあったのか、
屋敷跡の住人が出入りの為に後世に欠き取った
ものかは判別できませんでした。

戦国時代の館城は、多くが平地に築かれていた為か、
その後が現存している例は少なく、見ごたえのあるものでした。
今まで訪問した城の中では静岡の葛山公居館がその一例です。

葛山公居館の登城記はこちらです。

松平康孝屋敷跡の「土豪屋敷跡土塁」の北側には
詰城だった浅井西城の城跡に神社が建っているそうです。
なだらかな丘陵地の中腹に建つ神社への眺めです。


撮影: 2012年4月

城跡の神社はその名も浅井西古城八幡宮と言います。
小さな古びた神社でした。


撮影: 2012年5月

この神社の裏手には、丘陵地の頂上に向かい
緩やかな斜面が続いていました。


撮影: 2012年4月

この斜面を登ると開けた景色となり、丘陵地の
北側を流れる矢作川も眺められる景色でした。
そこに、一面の菜の花が咲いていました。


撮影: 2012年4月

丘陵地の土の辺りまでがかつての浅井西城址だったのかは
分かりませんでしたが、丘陵地からの眺めや菜の花の
景色を眺め、満ち足りた気持ちで丘陵地を折りました。


撮影: 2012年4月

浅井西古城八幡宮のある丘陵地の日には宿縁寺があります。


撮影: 2012年4月

宿縁寺の創建は平安時代初期にも遡る古いお寺です。
当初は、天台宗でしたが、室町時代中頃に
浄土真宗に改宗したそうです。

このお寺の山門は古い立派な門なのですが、
この門が岡崎城の移築門と伝わります。

岡崎城の登城記はこちらです。


撮影: 2012年4月

門は江戸時代の初期に建てられた岡崎城北門との事です。
梁や桁などは改修されているようでしたが、
門扉は当時のままと思います。


撮影: 2012年4月

"西三河の古城"のページに戻る

"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る