守礼門から広福門へ
「ゆいレール」の首里駅からバスに乗り継ぎ
首里城前で下車し、首里城を目指しました。
「ゆいレール」の乗車記はこちらです。
バスを降り、首里城に向い始めた
ところにあった石碑です。

撮影: 2008年7月
首里城一帯は首里城公園として
整備が行われています。
琉球の歴史と文化の中心だった首里城が
戦争で破壊された姿から当時の様子に
蘇らせるのはとても価値のあることと思います。
緩やかな坂道を歩いていくと、
守礼門が現れました。
中国の影響を受けたと思われる
装飾がされ赤瓦の載った華麗な門です。

撮影: 2008年7月
往時は守礼門の手前に中山門があり、
この守礼門は首里城第二の坊門だったそうです。
1958年(昭和33年)の守礼門の再建は
首里城復元の先駆けになったものです。
琉球王国の文化をしのぶ象徴として
沖縄の人々の心に深く刻まれた
門なのではないでしょうか。
守礼門を抜けると車道を横切ります。
その左手にひっそりと石門が佇んでいました。
園比屋武御嶽石門
(そのひやんうたきいしもん)
です。

撮影: 2012年7月
ここは琉球王府の祈願所だったそうです。
園比屋武御嶽石門は排殿にあたり、
石門の後ろに広がる杜が神として
崇められていたそうです。
今、その神聖な森は一部は残っていますが、
城西小学校の校庭に変わってしまっていました。
この園比屋武御嶽石門は1519年に創建されたそうです。
この石門も大戦で破壊され、1957年(昭和32年)に復元され、
1986年(昭和61年)に解体修理されたそうです。
園比屋武御嶽石門から右手の参道を進むと
いよいよ首里城の石垣が見えてきました。
高い城壁に、立派な石門が見えていました。
首里城の正門、歓会門です。

撮影: 2008年7月
歓会門という門の名前は、中国皇帝の使者・
「冊封使」を歓迎する意味で付けられたそうです。
門の両側には魔除けのシーサーが座っています。
アーチ型の石門の上に櫓が載っています。

撮影: 2012年7月
中城城や座喜味城で見た石門にも
このような櫓が載っていたのでしょうか。
中城城の様子はこちらです。
座喜味城の様子はこちらです。
この歓会門は1500年頃に創建、
1974年(昭和49年)に復元されたそうです。
歓会門をくぐると外郭と
内郭の間の曲輪に入ります。
周囲を城壁が囲み、いくつもの櫓門が
見えて気持ちが昂ぶってきました。

撮影: 2008年7月
下の写真、左の門が久慶門、
右手の石段を登ったところが瑞泉門です。

撮影: 2008年7月
久慶門は首里城の通用門にあたる門で
首里城見学コースの帰路にこの門を通ります。
石段を上り詰めたところに
あるのが瑞泉門です。

撮影: 2008年7月
創建は1470年頃だそうです。
この門は1992年(平成4年)に復元されました。
瑞泉門から上ってきた石段を振返ったところです。

撮影: 2008年7月
石段の途中には龍樋という泉がありました。
首里城の貴重な水の手になっていたようで、
またこの龍樋の水は綺麗に澄んでいたそうです。
その龍樋の水の清らかさを称えた
冊封使の碑の復元も立っていました。
瑞泉門を抜けると小さな郭があり
すぐに左手の漏刻門へと続いていました。

撮影: 2012年7月
漏刻門は15世紀に創建された門です。
生憎、塗装の化粧直し中だったので、
2012年に再訪した際に、写真に収めました。
漏刻は水時計の意味で、この漏刻門の櫓で
太鼓を叩き時を告げていたそうなので、
太鼓櫓門といったところです。
この漏刻門では、駕籠に乗った位の高い役人も
下乗したそうで、「かご居せ御門」とも呼ばれたそうです。<
漏刻門を抜けると、日影台に出ました。
城壁の上部に近いところまで上っているので、
この日影台からは首里城北側の景色が広がっていました。

撮影: 2012年7月
左の写真、一番手前の門は久慶門で
その左奥に歓会門が見えています。
久慶門から歓会門へと続く城壁の向こうの杜は
園比屋武御嶽石門の奥にある神と崇めた杜です。
日影台の真下の郭では発掘作業が行われていました。

撮影: 2008年7月
ここには当時、銭蔵や厩が建っていたようです。
そして日影台の日時計です。

撮影: 2008年7月
首里城ではこの日時計と漏刻門の水時計の
両方で正確な時間を測っていたようです。
この日影台の時刻は沖縄の経度の関係で
日本の標準時よりも30分遅れた時を
示しているそうです。
日影台からは、首里城の中心部、
御庭を取り囲む北殿の建物が見えています。

撮影: 2012年7月
北殿の建物の右手、日影台の
南側に建つ広福門です。

撮影: 2012年7月
この広福門をくぐり、下之御庭へと向かいました。
"首里城"のTopに戻る
下之御庭から正殿へ
首里城正門の歓会門からいくつも門を抜け、
広福門をくぐると下之御庭に入りました。

下之御庭は正殿前で行われる
儀式の控えの間だったようです。
左手に、御庭へと続く泰神門があり、
正面には首里森御嶽がありました。

撮影: 2008年7月
首里森御嶽(すいむいうたき)は、
首里城に10箇所ある拝所のひとつで、
格式の高い拝所の一つだったそうです。
琉球国王が城外に出る際、この御嶽で
祈りをささげ、神女達が儀式を行ったそうです。
この首里森御嶽の背後には
立派な石垣が続いていました。

撮影: 2008年7月
この石垣の向こう側には首里城内で
最大の聖域「京の内」が広がっています。
京の内のページはこちらです。
いよいよ、泰神門をくぐります。

撮影: 2012年7月
泰神門は1754年以降に建てられたそうです。
中国の建築に倣って門の中央の屋根を高くし、
三門の建築様式で建てられています。
この泰神門をくぐると、正殿や南殿、
北殿に囲まれた御庭(うなー)に出ます。

御庭には帯状の磚が敷かれ、その中央を
浮道がまっすぐ正殿に伸びています。
御庭は、正方形ではなく少し歪んだ形をしています。
また泰神門と正殿との中心は少しずれているので
浮道は正殿に対して80度の角度で交わるそうです。
明るい日差しを浴びて輝くような正殿の様子です。

撮影: 2012年7月
この正殿は、1712年頃に再建されたものを
1992年に当時の様式で完全に復元されたものです。
正面の唐風の屋根が特徴的で
屋根には龍が乗っていました。
残念ながら2019年の火災で焼失していますが、
2026年秋の完成を目指して復元工事中です。
正殿は、琉球が統一された後の、琉球国王が
政治や儀式を行う政庁としての建物で、
本州のお城でいうと、天守ではなく
御殿に相当する建物です。
この正殿は中国の紫禁城を模したようですが
唐風屋根などは日本の影響も受け、
琉球独自の様式のようです。
正殿に向かう浮道と左右に交差する磚の
モザイク模様もとても鮮やかでした。
御庭を囲む北殿と南殿の様子です。

撮影: 2008年7月
左の写真が北殿、右が南殿です。
戦前の資料が豊富にあった正殿は
完全復元がなされていますが、
南殿と北殿は資料が少なく、残念ながら
鉄筋コンクリート製の概観復元になっています。
それでも御庭を囲むこれらの建物が復元され、
泰神門を抜けると、特別な場所に
足を踏み入れた事を実感します。
順路に従って、まずは南殿の中に入りました。
内部は展示室があり、首里城博物館のようでした。
南殿の南側には、国王が執務を行い、
近習の者たちが控えていた書院や
王子達が控えていた鎖之間も復元されていました。

撮影: 2008年7月
そして書院から望む琉球庭園です。

撮影: 2008年7月
明るい庭の様子は、どこかのリゾート地に
いるかのような感じがしました。
南殿の見学を終えると、
いよいよ正殿に向かいました。
南殿から正殿に向かう渡り廊下が開け
御庭の様子が見えていました。

撮影: 2012年7月
正殿は内部は三階建ての造りです。
正面は40m、横幅は17m、そして
大棟までの高さは16m程あるそうです。
首里城正殿の基壇が保存されていました。

撮影: 2012年7月
正殿の一階は下庫理と呼ばれ、政務を行う"表"で
二階は大庫理と呼ばれる儀式の場だったそうです。
二階にある琉球国王の玉座です。

撮影: 2012年7月
赤に極彩色の煌びやかな飾り付けがされて、
国王の権威を示しています。
「中山世土」の扁額は1683年に、中国の康煕帝から
尚貞王へ下賜されたものを復元されたものです。
正殿に展示されていた王冠です。

撮影: 2008年7月
こちらは17世紀に清朝の
皇帝から贈られた国王印です。

撮影: 2008年7月
こうした展示物をでm当時の煌びやかな
宮廷生活の様子の一端を窺い知る事が出来ました。
正殿の内部を歩いてみると、15世紀に
琉球王国を統一した尚氏の居城の首里城は
18世紀には、宮殿そのもののだったようでした。
正殿内の展示物は、現存のものが展示されていたようです。
火災の際にすべて焼失してしまったのは、残念です。
"首里城"のTopに戻る
北殿から久慶門へ
煌びやかな正殿を訪れた後に
北殿に向かいました。

撮影: 2008年7月
北殿は評定所が置かれていて、琉球王府の
行政施設の役割を果たしていたそうです。
また中国から冊封使の接待所
としても使われたようです。
この北殿も南殿と同じく鉄筋コンクリート製の
概観復元となっていて、展示室がありました。

撮影: 2012年7月
当時の儀式の様子が模型で再現されていました。
この北殿の裏は見晴台になっています。

撮影: 2008年7月
ここからは首里城北側の景色を一望できました。
下の写真左は、那覇の中心街方向を眺めたものですが
那覇市街地の向こうに東シナ海を望み、
手前には、歓会門、久慶門が見えていました。

撮影: 2008年7月
正面にはビル街の間を「ゆいレール」が
走っていく様子も見えています。
「ゆいレール」の乗車はこちらです。
そして、右手下には、右掖門が見えています。
この見晴台の東端からは、正殿の裏にある
御内原(おうちばら)の様子も見えていました。
御内原は王の家族や女官、神子らの居住空間で
男子禁制の場所だったそうです。
江戸城の"奥"にあたる場所だと思います。
北殿の見晴らし台から眺めた御内原の様子です。

撮影: 2008年7月
遠くに一番の寝廟殿を取り囲んでいた石垣と
白銀門の石門のアーチが見えていました。
この御内原はまだ復元されておらず、
早く、ここも復元してもらえたら、と思います。
手前の白い石垣は復元工事中の淑順門です。

撮影: 2008年7月
白い石垣はまるで大理石を敷き詰めたようで
青い空に綺麗に映えていました。
そして右掖門をくぐり外郭へと抜けて行きました。

撮影: 2008年7月
右掖門からは緩やかな石畳のスロープが続き、
遠くに歓会門や久慶門が見えていました。

撮影: 2008年7月
この景色は本州のお城では
見られない琉球独特の景色です。
やはりどことなく中国に
いるような感じもしました。
スロープの途中には先ほど日影台や
北殿裏の見晴台から眺めた銭蔵や
厩の発掘現場がすぐ近くに見えていました。

撮影: 2008年7月
発掘調査が終わったらここにも
当時の建物が復元されるのでしょうか。
スロープを下った先には
寒水川樋口川がありました。

撮影: 2008年7月
ここは瑞泉門の下にある龍樋とともに
首里城の重要な水の手だったようです。
この寒水川樋口川のすぐ先に
久慶門が聳えていました。

撮影: 2008年7月
久慶門は「ほこり御門(うじょう)」と呼ばれ
首里城の通用門にあたるそうです。
国王が寺院にお参りに行く際や北の地方に
行幸する際もこの久慶門を利用したそうです。
久慶門を抜けて眺めた首里城の様子です。

撮影: 2008年7月
首里城は450年以上にわたる琉球王国の
歴史を刻む、堂々とした立派なお城でした。
そして青空と明るい日差しが
とても似合うお城でした。
"首里城"のTopに戻る
京の内から西のアザナへ
首里城を再訪した2012年には、
前回見落とした京の内を巡りました。
守礼の門を過ぎ、右手に折れると、
首里城の碑がありました。

撮影: 2012年7月
この碑の前の小路を上っていくと木曳門がありました。

撮影: 2012年7月
立派な石垣に、小さく開いた出入り口が木曳門です。
当時は修理の際の物資の搬入用として使われ、
普段は石で塞がれていたそうです。
木曳門の右手には、大きく立派な石垣がありました。
この石垣は規模が大きく、圧倒される様でした。
この石垣が西(イリ)のアザナと呼ばれています。

撮影: 2012年7月
当時は、ここに旗を立て、漏刻門で搗かれる時を告げる
太鼓の音に合わせ、ここでは鐘が鳴らされていたそうです。
木曳門をくぐり進んでいくと下之御庭に出ます。
泰神門から西に延びる石垣に、切り欠きがあり、
南側に抜けられるようになっていました。

撮影: 2012年7月
この切り欠き部は当時、門があったと思います。
ここを抜けると京の内です。
京の内には、木々が生い茂り、鬱蒼とした佇まいです。
この先にも門跡と思われる石垣がありました。

撮影: 2012年7月
京の内は「けおのうち」と表記され、
「気の充満する聖域」と解釈されているようです。
実際、京の内には幾つもの御嶽があったそうです。
その京の内に猫が舞い込んでいました。

撮影: 2012年7月
この先で階段があり、そこを上ると
首里城の城壁の脇の門跡に出ました。

撮影: 2012年7月
この門も、石垣に人が出入りできる程度の
幅の空間がくり抜かれていました。

撮影: 2012年7月
この門跡からは那覇の街並みを眺めることが出来ました。
この後、城壁の石垣に沿って歩いていくと、
物見台跡の石垣に上がることが出来ました。

撮影: 2012年7月
ここは当時、櫓のような建物が
建っていたのではないでしょうか。

撮影: 2012年7月
物見台跡からは、優美に曲線を描く首里城の
城壁や正殿も眺めることが出来ました。
物見台跡近くから下之御庭へと出ることが出来ました。

撮影: 2012年7月
ここからは、泰神門越に正殿を眺めることが出来ます。

撮影: 2012年7月
この後、正殿を訪れ、その後再び下之御庭に戻りました。
正殿の様子はこちらです。
正殿を訪れた後、西(イリ)のアザナに向かいました。
下之御庭から西に向かう道の分岐を左手に進みます。

撮影: 2012年7月
その先で城壁に行き当たり、城壁の
石垣へと昇る階段を進みました。

撮影: 2012年7月
西(イリ)のアザナからは、那覇の街並みを一望出来ました。
傾いた夕日に、東シナ海が照らされて輝いています。

撮影: 2012年7月
西(イリ)のアザナからは遠く慶良間諸島が眺められるそうです。
輝く東シナ海の島影が慶良間諸島だったのでしょうか。
この光景は、とても印象的でした。

撮影: 2012年7月
西(イリ)のアザナから東を眺めると、
正殿を望むことが出来ました。

撮影: 2012年7月
西(イリ)のアザナから木曳門を通り、
首里城の散策を終え、城外へと出ました。
守礼の門の手前に、国王頌徳碑と眞珠湊碑文がありました。
傾いた西日を浴びて、碑は輝く様でした。
どちらの碑も1522年に建立したものです。

撮影: 2012年7月
国王頌徳碑は、当時の尚真王の仁政を称えたものです。
眞珠湊碑文は「まだまみなとひもん」と読み、当時、猛威を
振るっていた倭寇に備える事が記されているようです。
"首里城"のTopに戻る
"日本全国お城巡りの旅"に戻る
Shane旅日記 日本編に戻る