名島城は、福岡市の北東にあったお城です。 
名島城は博多湾に面した小高い丘の上に築かれていました。 
小早川隆景は1595年(文禄4年)に、三原城に戻り 
 
その小早川秀秋は、関ヶ原の戦いの後に岡山城に移り、 
福岡城の築城が始まると、名島城の建造物は福岡城に移築され、 
 
名島城の縄張りは、東西に2つの曲輪があったようです。 
この名島城には、2012年7月に訪れました。 
西鉄貝塚線名島駅から西に向かい、 
 
名島城址へは、西鉄貝塚線の名島駅から向かいました。 
お寺の参道に鳥居があるのが違和感があります。 
鳥居をくぐり、その先の石段を上り、 
宗栄寺の奥に名島神社がありました。
 
名島神社は田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命を祀っています。 
本殿の西側には、一段低い所に名島豊川稲荷神社があります。 
名島豊川稲荷神社から山肌に沿って石段が西に続いていました。 
鳥居のすぐ先は玄界灘です。 
この石は、3,500年前の地層に埋もれていた 
名島城はこのような海に隣接した立地の為、 
ここで再び名島神社の本陣まで戻り、さらに奥に進みました。
 
短い石段を上ると綺麗に整備された公園がありました。 
縄張り図を見ると、この城址公園は当時の本丸跡のようです。 
城址公園の北西角には隅櫓跡の礎石がありました。
 
城址公園の東側には下り坂の散策路がU字を描いています。 
上の写真がその散策路です。 
この先で、城址公園の出口があり、その先は 
名島城址公園の縄張り図によると、この坂道の 
住宅地の北東には、空き地がありました。
 
この空き地からは、名島城址の北側の切岸が良く見えていました。 
名島城に所縁のある宗栄寺や名島神社も含めた 
名島城址には遺構は左程残っていませんでしたが、 
 
下の写真は、福岡城址に残る名島門です。
 
 
 
 
 
Najima Castle, Fukuoka
登城日:
2012.7.23
1587年(天正15年)に豊臣秀吉が九州征伐の為に
この地にあった名島弁財天を訪れた際、この地に
築城するように、小早川隆景に命じたそうです。
秀吉が訪れた名島神社は城址の中に今もありました。
養子の小早川秀秋に名島城を譲りました。
黒田長政が筑前の領主として移封され
福岡城の築城に取り掛かります。
名島城は1602年に廃城になっています。
西側に本丸、東側に二ノ丸が配置され、
その南に多々羅川が流れていたようです。

その時の様子を紹介します。
徒歩約15分で名島城址公園です。
名島駅を出て、西の方向に歩いて15分程で
宗栄寺の参道に辿り着きました。

撮影: 2012年7月
元々は、名島弁財天と呼ばれる寺社があり、
明治維新後は、弁財天を祀る宗栄寺と
名島神社に分かれて祀られた為と思います。
高台にある宗栄寺の境内に辿り着きました。
 

撮影: 2012年7月

撮影: 2012年7月
本殿は1830年(文政13年)、拝殿は2010年(平成23年)に建てられました。

撮影: 2012年7月
赤い鳥居の横には腰巻石垣のような石垣が連なっていました。
 

撮影: 2012年7月
その石段を下った所に鳥居がありました。

撮影: 2012年7月
この海岸線に名島帆柱石があります。

撮影: 2012年7月
珪化木と呼ばれる樹木の化石です。

撮影: 2012年7月
水軍基地としての役割も期待されていたようです。

撮影: 2012年7月
福岡市が民有地を買収し、2012年4月に開園したそうです。
訪れたのは、開園から僅か3ヶ月後の事だったようです。

撮影: 2012年7月
高台にある城址公園からは景色が開けていました。
下右の写真が東側、下左が西側の様子です。
 

撮影: 2012年7月

撮影: 2012年7月
この坂道を下ると大手遺構との案内板がありました。

撮影: 2012年7月
散策路を下ったところには石垣に用いられた石がいくつか
ありましたが、これが大手遺構なのか、自信がありません。
 
撮影: 2012年7月
再び坂道があり、住宅街が続いています。

撮影: 2012年7月
上の住宅は二ノ丸跡に建っている事になります。

撮影: 2012年7月
Google Mapで見るとこの空き地には今ではアパートが建っています。

撮影: 2012年7月
名島城の城址の散策は以上です。
当時の縄張りの様子を凡そ掴める事が出来ました。
福岡市内には、福岡城や崇福寺に移築門が残っています。
撮影: 2008年1月