鞆城
Tomo Castle, Japan

登城日:
2012.07.07

【鞆城 概要】

鞆城は、広島県福山市の鞆の浦にあったお城です。
毛利氏が築いていた城を、関ヶ原の戦の後に、広島に
移封となった福島正則が改築したそうです。

鞆の浦の散策記は こちら です:
http://cf916626.cloudfree.jp/Travel/Japan/Chugoku/Tomonoura.html

その鞆城は1615年(元和元年)に発布された
一国一城令に先立って廃城になっていたそうです。

福島正則は、1619年(元和5年)に広島城無断改築の
罪を得て安芸、備後50万石の所領を没収されてしまいます。
その後、福山藩主となった水野勝成は長子・勝俊を鞆城跡の
三ノ丸に住まわせ、勝俊が福山藩主となった後は町奉行所が
置かれたそうです。

戦国時代末期に、将軍・足利義昭が鞆の浦に
移った際、ここに居住していたと伝わります。

鞆城には2012年7月に登城しています。

【鞆城へのアクセス】

山陽新幹線福山駅からバスで鞆の浦へ。
港口のバス停で下車し、北に徒歩5分程です。

【鞆城登城記】

鞆城跡は、鞆の集落の高台にありました。
鞆の浦の西側の山懐にある医王寺からの眺めです。


撮影: 2012年7月

鞆城址は上の写真左側の高台の杜の所です。
医王寺を訪れた後に、鞆城址に向かいました。

医王寺から東に向かうと鞆の浦の集落に入ります。
この町中に、三ノ丸の石垣が残っていました。


撮影: 2012年7月

この石垣は通り沿いの病院の南側で発見されましたが、
北側の通り沿いに移築されているそうです。

三ノ丸の石垣から通りを挟んだ北側には
高台に建つ地蔵院が見えていました。


撮影: 2012年7月

この地蔵院の石垣は二ノ丸の石垣との事です。

地蔵院を過ぎ、しばらく東に向かって歩くと
崖の上に向かう石段がありました。


撮影: 2012年7月

この石段を上ると鞆城址に行くことが出来ます。
鞆城の本丸の高台のすぐ下には帯曲輪の様に、
一段低い所に道が続いていました。


撮影: 2012年7月

本丸側にある石垣は、近年積み直されたものでしょうか。
東にある虎口に回り込み、本丸跡を目指します。


撮影: 2012年7月

虎口の石垣は、周囲に散らばっていた
石を集めて積み直されたそうです。
本丸跡に建つ鞆の浦歴史民俗資料館です。


撮影: 2012年7月

本丸跡からは、眼下に鞆の浦が見えていました。


撮影: 2012年7月

鞆の集落と港を一望出来るこの景色を眺めれば、
この地に城を築いたのは、まさに納得がいきました。


撮影: 2012年7月

上の写真は、鞆城の本丸から北側に向かう道沿いのものです。
ここにも当時の石垣が復元されていました。

"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る