おきなわワールド・玉泉洞、沖縄県
Okinawa World / Gyokusendo Cave, Okinawa


おきなわワールドは、沖縄本島南部にある、
沖縄の文化や歴史、自然を伝えるテーマパークです。

園内には、沖縄各地の古民家を移築し首里城下を
再現した琉球王国城下町や、全長5kmにも及ぶ
玉泉洞と呼ばれる鍾乳洞があります。

おきなわワールドの入口の様子です。


撮影: 2012年7月

入口の近くに玉泉洞の入口があります。
それを過ぎて進むと、進貢船がありました。


撮影: 2012年7月

進貢貿易は、1372年に始まった琉球王国と中国との交易です。
琉球から、馬、刀、金、銀、酒類、象牙などが進貢されたそうです。
進貢船は、その際に用いられた琉球王国の官船です。

進貢貿易が始まった当初は、年に2回も出航したそうです。

その後、再び入口の方向に戻り、玉泉洞に入りました。
玉泉洞の入口の様子です。


撮影: 2012年7月

ここから玉泉洞に入ります。
玉泉洞は、全長が5kmを超えますが、
そのうち約800mが観光用に開放されています。


撮影: 2012年7月

玉泉洞は、複雑に分岐、合流を重ねる鍾乳洞で
更に何度も折れ曲がっています。

鍾乳洞の内部は年間を通して21℃との事で、
真夏の沖縄の外気から中に入ると
肌寒さを感じました。


撮影: 2012年7月

地底の奥底へと誘われるような、
秀麗部と呼ばれる玉泉洞の入口部です。
数多くの鍾乳石が鍾乳洞から垂れ下がっています。

こちらは、「昇竜の鐘」と「銀柱」です。


撮影: 2012年7月

鍾乳石から垂れた石灰分が柱の様に積み
重なった石筍が大きく発達していました。

こちらは、鍾乳洞の天井から垂れ下がる
無数の鍾乳石が続いています。
「槍天井」と呼ばれるエリアと思います。


撮影: 2012年7月

こちらは「初恋広場」と名付けられた広い空間がありました。


撮影: 2012年7月

こちらは「化石の広場」です。


撮影: 2012年7月

この先で、やや狭い洞穴を通ると、地底の滝が現れました。
「地煙の滝」と名付けられています。


撮影: 2012年7月

再び狭い洞穴を通ると、「青の泉」(下左)と
「黄金の盃」(下右)があります。


撮影: 2012年7月

どちらも段々畑のようなテーブル状の
窪みに水がたまったものでした。

青の泉はたまった水が青く見えるそうですが、
照明の具合か、そのようには見えませんでした。

広い空間に出ました。


撮影: 2012年7月

ここは「白銀のオーロラ」です。
白く輝く石筍が綺麗でした。


撮影: 2012年7月

約50分ほどかけて玉泉洞の散策を楽しみました。
数多くの見所があり、訪れる価値のある鍾乳洞でした。

エスカレータに乗って地上に出ると、おきなわワールドの
入口から一番離れた奥に出てきました。
この近くに、二棟の高倉がありました。


撮影: 2012年7月

穀物の倉庫として湿気を防ぐ為の構造です。
沖縄にはこうした高倉の倉庫が幾つもあったそうですが、
第二次世界大戦で破壊され、この二棟の高倉は
奄美大島から移築されたものだそうです。

入口に向かう途中に琉球王国城下町がありました。
沖縄各地の民家を移築し、首里城の城下町を再現しています。

このエリアには、赤瓦の建物がありますが、沖縄では
赤は高貴な色とされていて、明治までは民家に
使用する事は禁止されていたそうです。

従い、これらの建物は明治以降に建てられたものです。
下の写真は、旧田場家です。


撮影: 2012年7月

那覇市の首里から1996年(平成8年)に移築されています。

下の写真は、旧上里家住宅です。


撮影: 2012年7月

1934年(昭和9年)に伊是名村で建築され、
1995年(平成7年)に移築されています。


撮影: 2012年7月

上の写真は、旧上里家の内部の様子です。
開放的な構造になっていました。

こちらは、上江洲家です。


撮影: 2012年7月

1726年に建てられ、国の重要文化財に指定されています。
久米島の具志川城主の末裔の家だそうです。

この家の前には石敢當がありました。


撮影: 2012年7月

石敢當は、屋敷への悪風や邪気を防ぐ為、
T字路の突き当りなどに建てられた石碑です。

下の写真は喜屋武家住宅です。


撮影: 2012年7月

明治後期に建てられ、南城市の隣町の
八重瀬町から移築されています。

これらの建物の屋根には、形は異なれど、
夫々、シーサが載っていました。


撮影: 2012年7月

シーサは獅子で、災難や悪霊を防ぐと
信じられている伝統的な守り神です。

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