喜屋武岬・平和の塔、沖縄県
Cape Kyan, Okinawa


沖縄本島の最南端近く、具志川城址から
500m程離れた所に、喜屋武岬があります。

2012年7月、具志川城址を訪れた際、
喜屋武岬にも立ち寄ってみました。

具志川城址の登城記はこちらです。

喜屋武岬の入口に、平和の塔の碑がありました。


撮影: 2012年7月

第二次大戦での沖縄戦の際、旧日本軍は、住民を
道連れにして沖縄本島南部に逃げ込んでいます。
旧陸軍は1945年(昭和20年)6月26日に、
住民を巻き添えにして玉砕しました。

その2年後に、地域住民が、1万柱におよぶ
住民や戦死の遺骨を収集し、ここに埋葬したそうです。

第二次大戦の、帝国主義や軍国主義により引き起こされた
悲惨な戦争の反省から、平和国家を目指してきた日本ですが、
ここ数年その状況が大きく変わっています。

特に、2025年10月に首相になった人は、
いたずらに他国を刺激した発言をしています。
夫婦別姓への発言を見ても、まるで、戦前の
日本を実現しようとしているかのようです。

実際、今の状況は、他国を排除し、日本を神国と
称えた第二次大戦前の状況に非常に似ています。
戦前、軍部の独走を許した背景には、国民が
それを支持したという背景もありました。

ここ数回の選挙では、ファシスト政党が台頭している事も、
戦前の状況をなぞっているようで、大変危惧しています。

平和の塔の先には、断崖が続いていました。


撮影: 2012年7月

訪れた際には、台風が接近していて、波の高い
東シナ海が、とても迫力ある景色を作り出していました。

しかし、この断崖からは当時、追い詰められた
多くの住民が身を投げた場所です。

第二次大戦が終わって以降80年に亘り、他国との戦争を
経験してこなかった日本ですが、このままの状況が続けば、
また近いうちにこのような悲劇が繰り返される事になるでしょう。

夕暮れ、喜屋武岬の雲から光芒が差し込んでいました。


撮影: 2012年7月

喜屋武岬の東側には、喜屋武岬灯台も見えていました。


撮影: 2012年7月

ここを訪れるまで、平和の塔の事は知りませんでしたが、
平和の塔を知り、またこの記事を書くことによって、
戦争の悲惨さと、平和の実現についての思いを新たにしました。

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