撮影: 2015年5月
長野から42分で到着した妙高高原駅です。
長野と新潟の県境に位置していて、2015年3月の
北陸新幹線の金沢延伸の際はこの妙高高原が、
しなの鉄道とえちごトキメキ鉄道の境界駅となりました。
しなの鉄道の乗車記はこちらです。
妙高高原はスキー場で名高い赤倉温泉の最寄り駅です。
妙高高原に到着し、しばらく待つと
直江津方面から、電車がやってきました。
撮影: 2015年5月
直江津から到着した電車は6両編成でした。
この日は祝日でしたが、平日は多くの
通勤・通学客で混雑するのでしょうか。
妙高高原駅を発車し、しばらくすると
深く切れ込んだ谷を渡りました。
撮影: 2015年5月
赤倉温泉から流れ出ている白田切川と思います。
1978年5月に、この白田切川の上流で大規模な土砂崩れがあり、
当時の信越本線の線路も流される大きな規模の災害がありました。
撮影: 2015年5月
この周辺では、線路脇に立派な防御柵が設けられていました。
この災害のダメージは大きく、信越本線の
運行が再開されたのは1982年9月の事でした。
当時の被害の様子はこちらのサイトに詳しく載っています。
4年もの長い期間に亘って不通になるような災害は
当時、あまりなかったので、この土砂崩れ
災害の事は、良く記憶に残っています。
この辺りには、妙高山から流れ出る川が
作った深い谷が何か所かあります。
撮影: 2015年5月
その川を渡るときに、並走する国道や高速道路の
橋脚の向こうに妙高山が綺麗に見えていました。
この山間を抜けると、広々とした景色となり
進行方向左手に妙高の山々が見えて来ました。
撮影: 2015年5月
素晴らしい車窓風景です。
乗車した電車はロングシートの車両でしたが、
車内は空いていて、反対側の座席からの眺めが、
まるで額縁の中の絵の様でした。
撮影: 2015年5月
やがて次の関山に到着しました。
撮影: 2015年5月
上りの妙高高原行とすれ違いです。
関山を出ると再び車窓左手に妙高山が一望出来ました。
撮影: 2015年5月
関山からは、車窓を遮る電線もなく、
本当に素晴らしい景色です。
妙高山は、春先の雪解けの際に、
馬が跳ねる雪形が現れるといいます。
撮影: 2015年5月
それが「妙高はねうまライン」の線名になっていますが
どの雪形が、跳馬の形なのかは、判りませんでした。
直江津行の電車は、勾配を下り続け、
やがて妙高の姿が見えなくなりました。
撮影: 2015年5月
下り勾配の右側下に線路が見え、
細長い覆いの建物が現れました。
ここは次の二本木駅の構内です。
広々とした景色が広がっていたので、あまり実感は
出来ないのですが、この辺りの勾配はきつく、
勾配の途中に設けられた二本木駅は
スイッチバック構造になっています。
2010年10月に直江津から乗車した際の様子です。
撮影: 2010年10月
先ほど、進行右手下に見えた覆いが前方に見えています。
勾配を上ってきた上り列車の引き込み線になっています。
右手に見える列車は、妙高高原からの下り列車です。
直江津からの電車は、この先の引き込み線に入り、
折り返して二本木駅のホームに向かいます。
この先、妙高高原側から下ると、複雑な線路配置となります。
下の写真左側に、直江津方面に右に分岐する本線が見えています。
撮影: 2015年5月
妙高高原からの下り電車は、ポイントを直進し、
二本木駅のホームに進入しました。
2010年10月に、直江津から妙高高原に
向かった際の時の様子です。
撮影: 2010年10月
二本木駅に妙高高原から直江津方面に向かう列車と
直江津に向かう列車が同時に停車しています。
二本木駅のホームは平坦地に造られた行き止まり式です。
撮影: 2015年5月
妙高高原から直江津に向かう列車は、二本木駅で
折り返し、先ほどの引き込み線にと向かいます。
撮影: 2015年5月
引き込み線で一旦停車した後に再び折り返し、
右に分岐していく、直江津に向かう
本線へと分け入っていきました。
二本木 - 高田
スイッチバック駅の二本木からも
のどかな景色の中、勾配を下っていきました。
撮影: 2015年5月
妙高山麓から流れ出ている関川が作る
扇状地を下っている様子が体感出来ました。
撮影: 2015年5月
次第に家屋が建ち始め、一旦姿を隠していた
妙高が再び進行左手に見えるようになりました。
やがて、二本木から8分程で新井に到着しました。
撮影: 2015年5月
田植え前の田圃に張られた水に
山の姿が映り、とてものどかな光景です。
しばらくすると、車窓左手に遠く、妙高から
黒姫にかけて大パノラマの光景が現れました。
撮影: 2015年5月
下の写真、一番左端の山は飯綱山でしょうか。
本当に目の覚めるような雄大な景色でした。
撮影: 2015年5月
2015年5月に開業した新幹線との接続駅です。
島式ホームの反対側には見慣れない列車が停まっていました。
9:51発(乗車当時)の快速「越乃 Shu*kura」でした。
撮影: 2015年5月
2014年5月から運行を開始した観光列車で、
上越妙高と十日町や湯沢温泉、新潟を結ぶ
快速列車が週末を中心に運行されているようです。
撮影: 2015年5月
越後の酒蔵と豊富な自然をコンセプトにした列車の様で、
2号車はバー・カーの様になっていて、ここで日本酒に
舌鼓を打ちながら、綺麗な景色が眺められそうです。
撮影: 2015年5月
座席も窓が大きく、車窓風景が満喫出来そうです。
こうした列車に乗ってのんびり旅したいと思います。
この上越妙高を発車すると新幹線の高架橋をくぐり、
北に向かって進みました。
撮影: 2010年10月
2010年10月に直江津から長野に向かった際の様子です。
当時は既に新幹線の高架橋も出来上がっていました。
駅の位置が変わってまだ2年程ですが、地図で見ると
以前の線路は跡形もなく無くなっているようです。
しばらく走ると新幹線の高架橋の向こうに
妙高山が見えるようになりました。
撮影: 2015年5月
この先で集落が増えてきました。
南高田駅到着の手前の様子です。
撮影: 2015年5月
上越市の市街地に入ったようです。
こうして、妙高高原から48分程で高田に到着しました。
撮影: 2015年5月
上り線ホームに新井行の特急「しらゆき」が停車していました。
2015年5月には、この高田で下車しています。
高田 - 直江津
高田までは2015年5月に乗車した際の様子を紹介しましたが
この時は高田で下車している為、高田から直江津の間は
2010年10月に乗車した際の様子を紹介します。
この日は、新潟を6:46発の普通列車に乗り、長岡で
乗り継いで直江津に着き、春日山城を訪れました。
春日山城の登城記はこちらです。
春日山城から戻り、15:36発の長野行に乗車しました。
撮影: 2010年10月
この時は、北陸新幹線はまだ長野止まりで、
直江津から長野に向かう路線は、JR信越本線でした。
長野行の電車は、旧国鉄時代の115系と呼ばれる車両です。
現在では、えちごトキメキ鉄道妙高はねうまラインとなり、
長野方面の列車は県境に近い妙高高原止まりになっています。
直江津を発車すると広い構内に配置された
複雑なポイントを渡って行きました。
撮影: 2010年10月
幾つもあった線路が集約され、糸魚川方面の線路と
左に分岐する長野方面への線路が残りました。
糸魚川方面の複線の線路は、当時の北陸本線です。
今は、えちごトキメキ鉄道日本海ひすいラインになっています。
複線の長野方面の線路も、この先で単線となり、
小さな御館川を渡りました。
撮影: 2010年10月
うっかりしていましたが、御館は上杉謙信亡き後、
上杉景勝と上杉景虎の間で勃発した家督争い
御館の乱の舞台になったところです。
御館があった場所は、糸魚川方面の線路と
長野方面の線路が分岐する辺りだったようです。
直江津から南下し、上越市の中心地に差し掛かりました。
撮影: 2010年10月
上越市は直江津と高田の両市が合併した市ですが、
市役所はその中間の春日山駅近くに置かれ、
その周辺が市街地化しているようです。
春日山駅で小学生程の兄妹が下車していきました。
撮影: 2010年10月
市役所の最寄駅ですが、一日の乗降客数は
1,500人程度で、直江津や高田の約1/3程度です。
春日山駅を発車すると進行右手に
春日山城が見えてきました。
撮影: 2010年10月
春日山城の登城記はこちらです。
車窓から戦国時代の古城を眺めるのもいいものです。
その前方には妙高山へと連なる山々が
西陽を浴びる姿が見られました。
撮影: 2010年10月
こうして、直江津から2駅目の高田に到着しました。
JR時代の高田駅には自動改札機が備わっていました。
撮影: 2010年10月
その後、2015年5月に高田を訪れる機会がありました。
観光列車「越乃 Shu*kura」の案内板がありました。
撮影: 2015年5月
新幹線開業の陰で、在来線は切り捨てられ、
第三セクター化されるのが恒例ですが、
こうした観光列車は、期待も高いのでしょう。
えちごトキメキ鉄道になった後の
高田駅改札口です。
撮影: 2015年5月
JR時代の自動改札は取り払われ、
昔ながらの改札口になっています。
下車して眺めた高田駅の駅舎です。
撮影: 2015年5月
日本の民家を模しているのでしょうか。
特徴ある美しい駅舎でした。