大矢知陣屋は、三重県四日市市の北部、
富田から北西に2km程行った所にある陣屋です。
元来、この地は桑名藩の領地でした。
幕末も近い1823年(文政6年)に、桑名藩
七代藩主・松平忠堯
10万石の桑名藩に対し、忍藩の
石高がそれに足りていなかった為、
この大矢知周辺を含む4万石以上の
領地が飛び地として忍藩領地になりました。
忍城の登城記は こちらです:
この飛び地を治めるために築かれたのが
大矢知陣屋です。
大矢知の土地はその後、一旦天領となりますが、
1854年(嘉永7年)に再び忍藩領となりました。
明治に入った1870年(明治3年)に藩は
この地に藩校の興譲堂を建てます。
廃藩置県の後、1880年(明治13年)に
陣屋跡に興譲学校が創立されています。
大矢知陣屋の最寄り駅は、三岐鉄道三岐線大矢知駅です。
名古屋駅から近鉄に乗車し、近鉄富田に向かい、
近鉄富田から三岐鉄道に乗り換えます。
三岐鉄道鉄道三岐線の乗車記は こちらです:
大矢知陣屋跡は、大矢知興譲小学校になっています。
小学校の周りを歩いてみました。
三岐鉄道大矢知駅から踏切を渡り、南東に進みます。
住宅地の向こうに小学校の校舎が見えてきました。

大矢知興譲小学校の北側には、立派な蔵がありました。

この先で、小学校の校庭の北の端を東に進みました。

小学校の端には細い溝が続いていますが、
学校の敷地が、陣屋跡と一致していると
すると、この溝は堀跡ではないかと思います。
下の写真が大矢知興譲小学校の北東の角の様子です。

ここから南に向かうと、小学校の正門がありました。
正門の右側奥には校庭と校舎が見えています。

桑名藩主だった松平忠堯が移封となった際の忍藩は、
10万石の石高のうち、半分に近い4万7千石をこの
大矢知で有していました。
となると、この大矢知陣屋も大きな規模だったように思います。

上の写真は、大矢知興譲小学校の西側の小川です。
この川も、当時は陣屋の堀の役割を
果たしていたのではないでしょうか。